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田舎暮らしのスケッチとメモみたいな


by faicrystal

出雲神話「『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』


オフグリッドライフに向けて、畑や浄水に炭も焼きたい♪
と、ふと手に取った、
棚を長年温めていた、「炭」の本。

あ、スサノオ。あ、卑弥呼の記述もある!
また欠けた日本史のピースが一つ一つ繋がりました。

女神山命水の水源地、
最初に訪れた時は、巨石があって、石がストーンサークルみたいになっていました。
巫女さんが儀式でもしていた場所?と思うくらいのシアターの様でした。
その後、夢にも白い服を纏った女性が何度もでてきたんですね。。
古代のお水の守り人だった様でした。
妄想かもしれませんが、左手に榊、みたいなもの、持ってたぞ〜!

もしかしたら、タタラの製鉄所、だったのかもしれません。
だとすれば、ここにスサノオも来たかも。。
いや、いたと仮定みると。。。
案外、今まで不思議だったさまざまな出会いや体験が、繋がるかもしれません。
日本の国づくりというものに関わっている、いろんなバックグラウンドを持った方々との出逢いの訳とか。

鉄の場所と水の場所。
製鉄には大量のお水が必要なので
「製鉄と儀式」の場所はセットだったのかもしれません。

そういえば、近所にも
しめ縄、お酒&塩で祀ってある神聖な巨石がたくさん有ります。
ひょこり、家の横とか、ひょっこり、田んぼの真ん中とか
ここ県北の採水場に行く道すがらにも多いですが、
比婆山山麓のいざなぎ、いざなみに関わる場所、庄原市比和町、にはたくさんあります。

すっごく田舎なのに、べっとりの田舎ではなくて(sorry!)
大陸の風を感じるし、
地名も。。国際的な匂いがするのです(笑)

古代にふれることは、妄想&想像のチャンスを与えてくれます。
だからみんな、こつこつ、こつこつ、なんでそんなことするの?ってことをされるのですね〜。。
ピースをあつめて、1つにしていく内的確認作業は時間がかかりますが楽しいものです。
同じような、マニアックな人に出会うと、すごいことになりますよね!

約2年前に、三次市のお隣、庄原市で開催された、
「日本神話、比婆山、いざなぎ、いざなみ」をテーマにしたイベントに参加。

世界中を旅したスピリチャルと歴史とパワースポットがライフワークの男性や
三次風土記の丘の学芸員
比婆山を愛する庄原市長
出雲出身の女性作家
いろんな視点&立場から島根、広島県北の歴史をひも解いてディスカッション。
面白かったです。

かつて女神山水源地一帯は、
超ハイテク地方(=古代シリコンバレー:笑)
だったそうです。

潤沢な鉄資源。
先端技術。
輸出能力。
人材たくさん。
結果は超リッチ☆



ほっほ〜、
だからその後
スザノヲは後の中央政府となる人から
目をつけられて、存在も歪曲されて、
勧善懲悪の悪者にされちゃったのですね。
およよよ。。。

有名な普通の歴史書は、パッションがないというか
どうも故意の迷路があって、全然頭&肚に落ちないので
かねてから、おかしいなあと思っていました。
(歴史は10段階の1−2点でした、、、理由になりませんが)

出雲国風土記に触れたときは
おお!これは律令時代につくられたものだけど
当時の自然が明記してあって、空気を感じることができました。


本題の、炭の本の中の、スサノオの記述です::::::::::::::::::::::::::::::

出雲神話「『八岐大蛇(ヤマタノオロチ)』の正体は製鉄所だった?
炭の神秘 岸本定吉監修より(P.22-25)

日本で鉄製の農器具が使われるようになったのは3世紀、弥生時代後期のことである。鉄は実用化され、その鉄をつくったり、加工するのに。炭が大量に使用されるようになった。このころの炭はやわらかくて、砕けやすく、けっして良質とはいえなかったが、火つきがよく、火力も強いので、製鉄用の燃料として好まれていた。


また、木炭の灰に含まれる鉄、マンガンなどの重金属や硫黄、リンの量はきわめて少なく、そのために木炭を還元剤(金属を含む物質から金属分を取り出すための用材)に使うと、不純物の少ない鉄が出来るので、刃物などをつくる材料にも適していた。


この時代は邪馬台国(中国の歴史書・『魏志倭人伝』に書かれている3世紀の日本の地方国家で女王・卑弥呼が統治していた)の誕生、大和朝廷の統一、朝鮮出兵など、戦乱がつづき、そのための武具などをつくるのにも大量の鉄が必要とされていた。

当時はおもに朝鮮から地金を輸入していたが、それだけではまかないきれず、国内でも鉄づくりがおこなわれるようになったというわけである。

このころの日本の鉄は、すべて砂鉄からつくられていたが、中国山脈をはさむ備前・備中(岡山県)、備後(広島県)、伯耆(鳥取・島根県)、出雲(島根県)一帯は当時の代表的な鉄の生産地として知られている。
とくに備前は、海岸に近い産地でも砂鉄がとれ、運び出しに便利なところから砂鉄ラッシュの拠点となっていった。採取された砂鉄は現地で溶かして加工され、玉鋼/たまはがね(砂鉄からつくる鋼材)に仕上げられた。(樋口清之著『日本木炭史』講談社学術文庫)

大和朝廷でも朝鮮半島から多くの鍛冶職人(韓鍛冶/からかいぬし)を招き、大陸のすぐれた製鉄・製銅技術やその加工技術を取り入れていた。製鉄用後で製鉄炉のことを「タタラ」とよんでいるが、これはもともと蒙古語でそのころの経済物資や技術交流の深さを物語っている。

スサノオノミコト(須佐之男命)が八岐大蛇を退治する有名な出雲神話は川を流れて来るはし(箸)を見て、川の上流に人が住んでいると考え、川をのぼっていくところからはじまるが、実はこのはしも農耕文化のひとつとして大陸からつたえられたものである。神話では、八岐大蛇はつぎのように描かれている。
「その目は赤かがち(褐色)のごとく身一つに八頭八尾あり。またその身にひかげ(シダ)と桧/ヒ(ヒノキ)と杉(スギ)を生ひ、その長は谿八谿峡八峡(八つの谷と八つの丘)に渡りて、その腹を見ればことごとく常に爛れてあり」

スサノオノミコトが大蛇を退治したのは、出雲の国、肥の川の上流ということになっている。肥の川は現在の斐伊川で、上流は古くからの砂鉄の産地だった。またスサノオノミコトが大蛇を退治して、その体内から剣を取り出したという一から、これは当時、剣の材料になっていた砂鉄の採取を意味していると考える事もできる。

大蛇を切った時、その血が川を染めたというくだりも、砂鉄を採取するときの土砂による水のにごり、または砂鉄を溶かして精錬してるときの赤い炎を表しているようにも考えられる。

むかしから製鉄所があった土地には、このように大蛇のほか、鬼の伝説も数多く伝えられており、当時の人々の目には、ほかにたとえようのない奇怪な光景だったのかもしれない。このことから歴史学者のあいだには、大蛇の正体は川そのものか、川から採取され、精錬される砂鉄、あるいは製鉄所そのものだったという説も少なくない。

いまなら、さしずめUFO(未確認飛行物体)か宇宙人に遭遇したような衝撃的な印象だったのではないだろうか。

神話では、スサノオノミコトが大蛇退治に使った剣は「韓鋤/からさい」つまり朝鮮の鉄でできたもので、この剣で大蛇を切ったとき、大蛇の体内にあたって刃がこぼれたことになっている。

当時、朝鮮の鉄は岩鉄(岩石を砕いて採取した鉄)で、日本の鉄は砂鉄だったことから、この神話をとおして、ふたつの鉄の品質や製造技術の優劣をかいま見ることもできるようである。














by faicrystal | 2018-01-30 12:44