living in the countryside faicrystal.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

田舎暮らしのスケッチとメモみたいな


by faicrystal

チャングムの誓い/第8章(1)


先日知人とお話し、
その翌日、朝起きがけの夢見時間、
チャングム、と閃いたんです。

なんだろう、
そういえば、、と
昔、読んで、そのままになっていた、
本が本棚の片隅にありました。

読み進めてみると

長年疑問だった事、

最近気になっていた事

のある答えが

水や植物とともに示されていました。

前後の背景もあり
読み進めるうえに必要かなと思い
長くなりますが、掲載しました。

1ページずつ、8日かかると思いますが
おつきあいください。

著作権のことを考えたのですが
ぜひ、一部を、紹介文として読んで頂き
本屋さんに行ってみられる事お勧め致します。

東洋医学の叡智にみちた、本でもあります。

昨今の野草ブームで、薬効ばかりが取りざたされて
もしかしたらかけているかもしれない
陰陽思想の中庸のありかたを、気付かせてくれます。

歴史小説でもあり、映画のようでもあります。

自分があたかもチャングムになったような
不思議な錯覚に入り込んでいます。

::::::::

実録 チャングムの誓い 全編 ヨ・ソルハ著
ワニブックス発行 2006年初版

第8章 取才(チジェ)

 医科試験は高麗時代には医業と言って文武科と共に施行されていたが、仁祖十四年に科挙制度を整備し直し試験科目を改めた。『素門経』をはじめ、『甲乙経』、『明堂経』、『難経』、『脈経』、『鍼経』、『灸経』などの科目があった。特に朝鮮では式年試(大比科とも言う。子、卯、午、酉の年を式年とし、三年に一度定期的に試験を施行した)と国に祝い事がある時に実施した大増廣試を通じて人材を選抜した。

 試験で一等になると従八品の職位が与えられ、二等は従九品、三等にも従九品の品階が授けられた。そして残りは権知と言って、臨時待機職となっていた。このような医科試験に応じていたのは、最初は両班の子弟たちだったが、医科そのものを雑学として卑下していたので、ほとんどが二品以上の官職を持つ班家の庶子だった。

 医女の取女は典医監が司っていた。医科を通過して内医院に努める典医たちが処方箋を記すと、それをもって薬剤を選んだり、処方どおりに湯薬を調整したりする仕事を担当していた。

 廃君燕山の時代には医女たちを妓生のように扱い、酒席のお供をさせていたので薬房妓生という言葉が出来たのだが、その後政変が起こると医女たちはそれまでの宮中生活に愛想を尽かし草野に戻る者も少なくなかった。そのため中宗が即位してからは宮中の医女の数が著しく不足していた。典医監では一度に百人くらいの志望者を集め、一定期間の教育を経て医女の取才に応じさせる制度を作ったのだった。

 安治享の推挙で宮内に入ったチャングムは医女たちの宿所で暮らし始めた。そこで済州道で学び、修練したことを反芻しながら新しい生活にもなじみつつあった。典医監の主簿として勤めている安瓚の姿を見ることはできたが、チャングムとしては特に力とになってもらえる機会はなかった。

(166ページ終わり)
 

by faicrystal | 2021-05-11 12:03 | チャングムの誓い(本)